追伸:私が仕事で教わったこと

追伸として、つぶやいておくね。

あらゆる仕事に活かせる教えだと、今さらながらに、わかるから。

 

責任を負うなら、その立場で、その現場において、

あなたが「足りないもの」になりなさい。

そこを見つけ、補う視点、を持ちなさい。

 

何かを伝えたいなら、そのことで失敗している人にも必ず目を向け、

そのことも、きちんと伝えなさい。

そこを無視したり排除したりは絶対、しないように。

それがあるからこそ、人はホッとできて、

こちらが伝えたいことも、つかんでくれるのだ。

 

受けた恩は、後輩に返しなさい。

先輩に返すことなんて、できないのだから。

そうやって、恩をつなげなさい。

この3つは、今でも、ものすごく役に立っていますm(_ _)m

 

2015_08_19_2

Photo by 花の無料壁紙写真・花の無料写真素材・四季の花の写真集

 

今、すでにあるものを……

今のある意味、恵まれた環境。

それを、いかに無くさないようにするか、は、ちゃんと注意する。

でも、その過程では、なるべく自分がラクをするため、

手を抜ける工夫をする……。

それってさ。

今、あるものを「そうなるまでに築き上げてきた人たち」に

ただラクしてぶら下がるだけであって……。

しかもその手抜きっぷり、関わる周囲や、

ぶっちゃけお客様にも、迷惑かけたり、いい加減さを見抜かれて、

プチプチ怒られてますけど?

自分たちの都合ばかりになってて、プチプチ、信用減らしてますよ?

 

ゆえに、目の前のことしか見ないお姉さんが

会社で気に入られる理由も、よくわかった……。

 

役員さんのおっしゃることは、すんなり理解できるのに、

部長クラスの言うことに「???」となってしまったのは、これだったか。

会社全体の利益改善、なんて、

部長クラスでさえ、本気では視野に入れてないのかも。

というよりどうやら、入れたくないらしいのかも。

部外のことなんて、余計な仕事、なのだろうか……。

 

なんか、アラカン役員さんたちの、苦労が忍ばれる。

温度差、ありすぎて、驚く。

私は「熟した果実がすでに、腐り始めかけているところ」に

遭遇しているのかもしれない。

 

全体からの視野が「余計なこと」なら、

私が感じていた「アウェー」感覚も納得できる。

うん、別に「気に入られなくても」良くなった、本気で。

嫌われてはいないけれど(笑)、この違和感は、消さなくていいや。

 

長いものには巻かれ、文句を言わず、改善も提示せず、

黙々と従う羊が欲しいのなら、それはどうぞご自由に、だ。

 

私は本当に良い先輩方に、これまでたくさん恵まれてきたのだと

今、本気で思える。ありがたい経験をさせてもらえた。感謝……。

 

ここに学びに来たのね、私。

最初から期間限定で、良かった(^▽^;)

 

今日は自分の話だけになって、ごめんなさい。

 

2015_08_19

Photo by Lotus Carroll
cc-library010001909
CCライブラリー

 

あんなことがあったから……

あんなことがあったから

あんな目に遭ったから

あんなことをしたのだから

 
ゆえに

私は 幸せになっては「いけない」とか 

私は 幸せになれないに「決まっている」とか

また絶対 あんなことになるに「違いない」とか

 
それって全部 過去の記憶から自分が「そう信じることにした」だけの話だよね

 
過去の記憶というのはあくまでも

「そのとき それ自体を 自分が こう解釈した」

という 話なのだけれど それを

絶対

だと思い込むことに決めたんだよね?

そういう方向を選んだのは まぎれもなく 自分だよ

 
寝たきりであっても 毎日幸せで 感謝にあふれてもいいし

ホスピスにいても 心穏やかで うれしさを感じてもいい

 
そういう人と 実際に 私は 話をさせてもらったから

今を見て その今の自分を どう解釈するか は 

自分が選んでいいのだと 思えている

 
私ね 星野富弘さんの画集を いちばん最初に見たときのこと

今でも 覚えてるのよ

 
その画集の表紙には 車いす生活の話などは 何も書かれてはおらず

ただ「星野富弘の画集である」と わかるだけ の体裁だったの

 
私は あの 素朴な絵のなかに 力強さを感じて

「へえ 絵手紙かな なんか気になる……」と思って 

その画集を 手に取ったのだ

 
言いたいこと 伝わるかな?

自分が惹かれるものには 普通に 勝手に 惹かれるの 

自分の「感覚」と彼の「車いす」には 何も関係などないのよ

 
ましてや

今の自分

を表すのに あなたの背景も過去も 別に必要ないのよ?

それこそ あなたの容姿や性格のことさえ 関係ない

 
今を 自分が どう感じて それを 自分で どう解釈して どう扱うか

すべては それの 連続であるだけ

 
「あなたが見る」世界は あなたが「そう解釈してる」んでしょう?

そのことは なんとなく わかるよね?

あなたが「好きだな」と感じる あなたが「嫌いだわ」と感じる

あなたが心地よい あなたが気分悪い

そういうのを感じて そう解釈してるよね? 

周囲の人を 社会を 自分を

  
そして それに基づいて 自分の行動もまた決まるよね?

 
ならば 行動の前に 解釈の仕方を 変えることも可能なのよ

そこが変われば 行動なんてそれに基づくから 変わるのよ 勝手に

 
過去をつなげて 過去を積み重ねて そこを基準にして

批判して 非難して 罵倒して

過去の自分を 延々 自分にとって悪いほうへ 利用する

 
そういう「解釈の仕方」をすることが辛いなら

その「仕方」そのものを 別にやめていいんだよ?

過去の記憶と 今の自分を 自分でわざわざ 

苦しむために つなげなくても いいんだよ?

 
背景なんて 別になくても 他者には「届け」られるし 

その気になれば つながれるよ?

 
あなたが過去の自分を 今の自分につなげるからこそ

他者と なんとかかんとか もにゃもにゃするの

うまくいかないと許されないとか ダメだとか

心がさみしすぎて狂いそうとか 

それさ もうまるで 「贖罪」だよね

 
「過去のひどさを 帳消しにしたいがゆえの 何らかの 代理のもの」

を 求めようとしてしまうのかもよ?

 
他者と信頼しあって つながるのに 過去は いらない

だって記憶喪失の人だって 苦しい面は持ち続けながら

それでも 幸せになっていいでしょう? 

それとも 完璧な状態じゃないと「ダメ」なの?

 
つながるのは 今 目の前だし 構築していくのも 今から「先」なのだから

あなたが 今 先に 自分を 自分の解釈を 変えていいのよ……?

苦しい思いをしたからこそ その過去を わざわざ自分から選んで

自分につなげなくても いい

 
私が言っていること 難しかったらごめんね

必要な方に 必要な言葉が 届きますように

 

2015_08_17  
Photo credit: Lotus Bud / 蓮(ハス)の蕾(つぼみ)
via photopin (license)