あなたにとっての「頑張る」の意味

頑張ること についての話が続いてゴメンね

もう少し 続けてみます

 

あなたにとっての「頑張る」は

ちょっと怖いけれど

ドキドキしながら

でも ワクワクできそうだから

越える過程も越えたあとも

楽しめそうだから

張り切ってやってみるぜ!

 

という方向の「頑張る」なのかな

 

たぶん 世の中で

うまくいく「頑張る」の使い方って

そういうものだと思うんだ

 

結果は誰にもわからない

でもやってみること自体

自分にとって意味がある

 

自分が イキイキできるから

やってみよう! という

明るい気持ちなるための チャレンジなのだと

 

私から見ればね あ もちろん

過去の私も 実は心の奥のほうで

やっていた部分 あるから言うのだけれど

 

あなたの「頑張る」は

これ以上 堕ちるのが怖いから

気持ちを張り詰めさせて

とにかく失敗しないように

身体を緊張させて

心も緊張させて

怯えながら向かうもの

 

じゃないかな

ガチガチに自分を固めるためのもの

 

それ 頑張っているのでなく

自分をただ 強ばらせてるだけ だよ

そんなガチガチしちゃうやり方が

自分にとって よい結果を産むものになると思える?

 

頑張るな とは言わないけれど

あなたの「頑張る」は

自分を強ばらせて苦しめるだけだよね

そりゃ 厳しいよね

 

絶対に登りきれない壁に

なんとか取りつこうとしてるような

坂道に置いた石を 延々 頂上へ向かって

転がし続けていかなきゃ みたいな

(なんかそういう神話 あったよね)

 

しかもその坂道

とくにゴールらしき明確さもないわ

(なんとなく いつかこういう方向で

うまく誰かに認められて救ってもらえるかも

みたいな目標だよね)で

 

だったらそれ いつ達成する予定なの?

 

自分にとっての 頑張る の意味

もう一度 知ってみたほうがいいと思えるよ

遠い昔 やってみたことは あるはずだからさ

楽しむための ワクワクするための

ドキドキする頑張り

取り戻していこうよ

 

あなたが 自分で ね

だってそれは

自分にしか できない切り替えだからさ

 

2015_11_30

Photo by HansMeex
Pixabay

 

頑張りすぎて壊れている人は

これ以上頑張ると 失敗することのほうが

ずっと多くなる可能性が高いから

頑張る以外の「気持ち」を持つことを選択していく練習を始めないと

自分を壊したまま 辛くなる一方なんだよね……

 

ただ まあ 私も自分で 頑張る 以外のやり方を知らなかったとき

自分の肩にどれだけ力が入っていたか 知らなかったから

気づき始めるには きっかけが必要だということも知ってはいる

 

私の場合 自分の「頑張る」の気持ちの

奥にある「おそれ」「おびえ」に気づいていったんだ

 

頑張らないと自分がどうなってしまうか

それを自分で どんなふうに「信じ込んで」いたのか

 

なぜ 頑張る を そんな「おびえの裏返し」みたいな信念 として 

自分の内側にガッチリ 食い込ませて植え込んで繁殖させていたのか

そういうのを一つひとつ 解きほぐしていって

そこで初めて自分が「恐れていた」気持ちに いくつも出会って

そのたびに うああ なんだとー! 何これ! と

ある意味 ビックリしたのであった

 

そして自分が 肩に力を入れっぱなしだったことも

そこでやっと気づけていった……

肩に力入ってる と 言われて心配されたことはあったけど

それ こういうことだったか……みたいな感じ

 

いやあ 歯はくいしばってたわ 肩はいからせてたわ

心の中は「恥をかかないか」でビクビクしてたわ

いろいろさんざんな「小心者」の自分を発見していく道のりだったよ

途中から笑えるようにもなったけれど けっこう泣いた

 

もうね その「何が何でも 何しても頑張る」は 

あなたには 合わない方法に なりかかっていて

なのに延々 まだそれ「だけ」でやろうとしてるってこと

気づいてもいい頃じゃないかな……

 

そんな人 たくさん いるような気がする

意地張って 孤高を頑張る も そのひとつだろうしね

 

今の私は 頑張る ではなくて

自分に嘘をつかない 

っていうのを練習してるんだ

誰から何を言われようと 

自分に嘘をついてまでごまかすことほど

自分に害を及ぼすものはないなあ……って実感したから

 

だから 「知らないうちに自分を力ませること」からも

脱することができるようになってきたんだと思う

かのお姉さん みたいな人も 

もう本気でどうでもよくて 放置できるようになってきたんだと

私は 正しさを 証明しなくてもいいんだし とか

けっこう 脱力することも ま 少しずつだけれど 覚えていけている

 

これって ラクチンで すがすがしくて 肚も座ってきた感じで

オッサン脳の私でも(私だから?) 

意外に合っている信念だなと感じる今日この頃

 

「おびえ」からやってしまう自分へのオオカミ少年状態 

自分にとって 何が本当で 何が嘘か わからない状態を

勇気を出してやめてみるっていうの 

けっこう いや かなり 大切かもよ?

 

2015_11_29

Photo by zzzArt
Pixabay

 

追伸:他人に○○してもらえないから

他人は 私には○○してくれない

誰も私には○○をくれない

 

そりゃ自分で 自分に その望みのものを差し出せない人に

他人が差し出したら 延々 バキュームされるだけだもの

差し出し疲れるから やめたくなるよ

 

自分に差し出せるからこそ

他者にも それを渡せるの

だって

自分でも自分に渡せることを知ってるから

別に見返りは いらなくなるよね

自分がやりたいとき やりたい範囲で渡すことができれば

渡すこと自体が 心地よいから 見返りとか 関係なくなるよね

 

そんなふうに 自由に 自分の気持ちにそって 渡したい範囲で

他者に 渡せるからこそ

他者もまた 渡してくれるんだよ

だからこそ自分もまた 素直な気持ちで受け取れる

 

そうやってお互いが渡し合えると

そこに感謝や 信頼関係も 生まれるんだよ

 

返してほしい気持ちがみえみえで

下心ありありのもの 受け取ったら

あなた うれしいかな?

逆の立場なら すぐにわかるよね?

 

だからさ あなたの今の順番

周囲の人とは 100%真逆 なのだわ

今はまず

自分に差し出せるようになること を

練習するのが 先じゃない?

 

Photo by Corey Ann
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