どうせ死んでも良いのなら

どうせ死んでも良いのなら

その前に

今まで自分が やったことのない方法を

試してみても いいのにね

 

やったことのない 視点の使い方

やったことのない 対処方法

どうせ死んでも良いのなら

失敗したところで 大したことないのにね  

 

だって失うものすら もうきっと ないのでしょう?

なのにそういうチャレンジはしないまま

私が悪い あの人がひどい

とかいう視点だけに 自分を縛り付けたまま

死を選ぶの?

 

自分を消したくなるくらいにまで

自分の気持ちより他人の気持ちを優先「させなければいけない」って

その決めつけ さすがに変じゃない?

自分は「誰かの心の奴隷」として成功しなければ!

って言ってるのと 同じことだよ それ?

 

そんなのじゃない? 疲れたから?

ならば先に休んでみればいいじゃない

どうせ死んだら 全部失うのだから

別に先に 休んでみたっていいじゃない

休めない? つまり自分が感じることは封鎖して

他人の思惑に当てはまる人間にならなくちゃいけないの?

それもまた 何らかの 奴隷じゃないの?

 

なぜそんな 見栄を張ったまま

死を選ばなくちゃいけないのか

その見栄の元って いったい何なのか

自分が 何を頑固に決めつけているのか

 

そういうこと 全部 知ってから 死ねばいいじゃない

 

なぜその辺りの 原因探しは 無視するのかな

つまりは その「死にたい」って

今の状況から ただ逃げたい というのと同義語じゃない?

そんなことから 見つめてみるのはどう?

 

それにさ

逃げたければ

別に死ななくても

そこから逃げて いいんだよ?

 

どこまで 自分を縛り付けたら 気が済むのかな?

死ぬのなら その前に 先に その縛り付け やめたら?

立派であらねばとかいう

変な理想に 振り回されている状態であることを

いい加減 認めてみてもいいじゃない?

 

だってどうせ 終わりにして良いのだから

それこそ 何を試してみてもいいよね?

 

だったら 一度くらい

自分の気持ちをいちばん大切に

してあげてもいいのにな と

私は そう思うよ

 

あまりにも苦しいときは

まず先に逃げて 次に自分を休ませてあげて いいんだよ……?

 

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Illstration by ClkerFreeVectorImages
Pixabay

 

頑張る=『かたくなに張る』でもある

ふだんから

何かとあれこれ 張り詰めている人が

これ以上 頑張ってみても

 

すでに張り詰めている心や身体は

ますますキツくなるばかりで

あとはギリギリ 音を立てるだけだよ

 

深呼吸して 肩を後ろにゆっくり回して

脱力して また深呼吸して

 

その状態で 緩やかに

物事に当たったほうが

これ以上 自分を壊さなくてすむと思えるよ

 

ある程度の柔らかさは 

物事に対処するとき 必要

 

やんわりと 受け止められるから

激しく喜びすぎて 視野が偏ることもなく

たとえば衝撃にも 耐えられる 

衝撃そのものを 逃す

そんなふうに「かわす」こともできるのだ

 

柔道の受け身を考えたらわかるよね

固まった身体では 骨を折るだけ

物事に対して いつも張り詰めて

緊張させまくって 対峙していたら 

応用 いっつも 効かないよね

 

頑張るのは それが必要な一瞬のみ

ふだんは 柔らかくいたほうがいいよ

丁寧さって そのための指標にもなる

丁寧に物事に当たることは 『力む』こととは違うよね

 

逆に 今までまともに力を入れてみたことがない人なら

いっぺん本気で きちんと力を入れてみることをおすすめするよ

 

どちらにせよ

『やってこなかったほう』を試してみるのが

苦しい人にとっては 切り替えのチャンスになると

今は私 そう思えるんだ

 

私? もちろん 脱力方面の練習中

歯を食いしばらない

肩に力を入れない

脇を背中寄りにするかのように 肩甲骨を下げ

呼吸を 意識的に 深くする

特に長く 長く 息を吐く

 

こんな身体の練習が

自分の心にも 効き始めていることを

本気で 実感しているよ

 

もう 私 力まなくても いいんだ……

 

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Photo by ソザイング

 

次への そのための 涙

悲しむことを ゆるすのも

涙が出ることを ゆるすのも

また 自分のためになるよ

 

ただし 興奮して

悲劇的感情に どっぷり浸かって 

陶酔しない……涙なら ね

 

ああ 私はなんて 哀れなの!

などという 自分への同情は

刺激 だからさ それ

あまり続けていると 脳みそが疲れて

黒い気持ちからさえ 離れたくなくなって

身体によくないよ

 

自然に 静かに 涙が出ること

ただ 悲しいから 泣く 

それだけを感じるとき

そういう涙ならね 逆に

気持ちの中から黒いものを 取り去ってくれるの

 

まあ 泣きながら眠ると

目は確かに 腫れちゃうけれどさ

静かにしていても訪れる悲しみは 

自分に無理させないで

涙として 表現していいんだよ

 

それは心の掃除

辛さに注目し 自己を罵倒してしまう自分を

少しずつ 整えて 次のところへ 連れていってくれる

 

だからさ 可哀想な私

なんていう設定をつけたわけではない涙なら

そんな自分を非難せず

泣いて 心を キレイにしよう

 

こんな私には 涙さえゆるされないとか 

これ以上 かたくなに自分の感情を否定するのは

もう やめよう

そこから やめよう

自分が感じることは

自分が 大切にしてあげて よいのだ

 

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Photo by uroburos
Pixabay